2011年6月23日木曜日

日本古典文学本文データベース利用許諾願いの件

利用許諾願いに対して、「研究テーマの要旨及びその研究において、特にこのデータベースの利用を必要とする理由」をご連絡するように、ご返事をいただきました。 以下のようにご連絡申し上げますので、よろしくお願いいたします。 

1. 研究テーマ:  日本の国号の起源・変遷などについて

2.理由: 

2.1 「特にこのデータベースの利用を必要とする第一の理由」
(以下を確認するため)

  • 「古事記」には「日本」が現れない。「倭(やまと)」の使用例は人名を含めて64例、歌の中の「やまと」は10例である(神野志隆光『日本』とは何か」国号の意味と歴史)。
  • 古事記の「倭」は、万葉集において「山跡」(17回)、「倭」13回、「日本」10回、その他2回の使用となっている。(塙書房刊「万葉集総索引・CD-ROM」)。
  • 「日本書紀」においては、初出(巻第一・神代上・第四段本文において以下の記述がある。
  • 廼生大日本【日本 此云耶麻騰 下皆傚此】豐秋津洲 次生 (読み下し):廼(すなわ)ち大日本豐秋津洲(おおやまととよあきつしま)を生む。【『日本』、此を耶(や)麻(ま)騰(と)と云う。下、皆此(これ)に傚(なら)え】  その上で、全体で人名を含め219回(上記「『日本』とは何か)の使用例がある。

これは、以下を示している。

  • 古事記(やまと王権からやまと天皇制の確立まで)では、「倭」を使用している。
  • 万葉集では、「倭」より「山跡」の使用例が多くなった
  • 日本書紀では、「日本(やまと)」に統一された

なお、万葉集では319番歌に、「・・・日本之(ひのもとの) 山跡国乃(やまとのくにの)・・・」と、「日本」を「やまと」の枕詞として使用している。 この使用例は、万葉集中1箇所のみ。 

すなわち、倭⇒山跡⇒日本の変化の中で、「日本(ひのもと)之」は枕詞として現れた。 このことは、古事記・万葉集以外でも「日本(ひのもと)之」の枕詞に近い使用例がある可能性がある。

2.2 「特にこのデータベースの利用を必要とする第二の理由」
(以下を検討するため)

また、大宝律令制定の過程で、枕詞「日本(ひのもと)之」の「日本(ひのもと)」を「山跡(やまと)」に代えて使用することが決定されたと推測できるが、その発想は「日本に長期定住した先住民の発想」ではなく(古事記には「日本」は現れていない)、大宝律令の制度を提案・推進した「比較的近い渡来人の発想」である可能性がある。

2.3 「特にこのデータベースの利用を必要とする第三の理由」
(以下を検討するため)

  • 「日本書紀」において、「倭」の対中国・表記を「日本(やまと)」と統一されたが、逆にその後、国内では「やまと」は「大和」と表記されるようになった。 
  • おそらく「大倭」を「大和」としたことが想定されるが、その経緯を詳しく知りたい。
  • また、「漢詩」に対して「倭歌(やまとうた)」の名称が与えられ、それが「和歌」となったと考えられるが、その経緯についても、確認したい。

近代において「日本」が「ニッポン」となったのは、1931年の対中15年侵略戦争以降の日本軍国主義によってである経緯があります。 前年までは「にほん」がより普通でした。 (1930年10月発刊の菊池寛の雑誌「モダン日本」では、発刊の辞に「にほん」とルビがついている)

読売新聞(①2009年7月14日付け)で、1970年7月14日に「この日の閣議で日本の国名を「ニッポン」と呼ぶことに統一」という同紙(②1970年7月14日付け夕刊)の記事コピーを掲載して、その「閣議」を再確認しています。

①と関連した内容の「日本国号に関する質問主意書」(2009年6月19日付け)が政府宛てに提出されたが、それに対して、麻生太郎・内閣総理大臣は 「『日本』の読み方については、御指摘のような閣議決定は行っていない」(内閣衆質一七一第五七〇号 2009年6月30日付け)と答弁しています。

すなわち、読売の記事は内閣総理大臣の答弁を否定して形となっています。

同時に、NHKは「おはようニッポン」のように、「日本」読み方を、「ニッポン」と統一しています。 このNHK内部ルールは、正規に登録された第三者の社名(日本赤十字社)まで、「にほん」を「ニッポン」と、するなど、異常な現象を呈しています。

日本書紀において、対中表記として「やまと」を「日本」と統一し、「古事記」を編纂しなおしたように、21世紀において、「にほん・ニッポン」の2つの読み方のある日本語を、「ニッポン」に統一しようという、読売新聞やNHKの動きがあります。

これは、文化問題としては興味深いといえますが、政治問題としては問題であるといえます。

このようなことも含めて、「特にこのデータベースの利用を必要」としています。

よろしく、お取り扱いのほど、お願い申し上げます。

2011年6月18日土曜日

「にほん」の黒い流れ  
2 移動民が定住して成立した日本民族・日本語・日本

移動民が定住して成立した日本民族・日本語・日本

ヒトやイネのDNAの研究や考古学・古文献などの研究などにもとづいて、以下の仮説が提起されている: 
  • 日本の民族は、ユーラシア大陸や南からの、大きくは「西からの」諸移動民が定住して成立してきた
  • 言葉や生活様式も移動民の定住化の中で固定化し、諸民族と不断の交流の中で影響を受けながら、独自の発展をとげた
  • 西暦1世紀前後、日本列島定住民の諸豪族に率いられる集団の中で、比較的大きな集団は、自分たちのことを「わ」と呼んでいた(あるいは中国の記録者たちはそう理解し、「倭」の文字をあてた)
  • やがて九州から近畿までに勢力をのばした、自らを「やまと」と呼ぶ「やまと王権」が誕生した
  • 「倭(やまと)王権」は、権力正当化のための歴史書として言い伝えなどを再編成し「古事記」を編纂させた。
  • 古事記では、漢文・漢字が使用された。一部「やまと」を「倭」と記したが、やがて「山跡」と記すようになるなど、固有名詞に音訳をあてる「古代特殊仮名使い」の工夫をおこなった
  • この過程で「天皇」の呼称をも工夫し、天皇の起源を神話としての神に求めた

以上を前提とすれば、以下の記述の正当性が理解できる。

関晃著「帰化人 古代の政治・経済文化を語る」(講談社学術文庫 2009年第1刷発行)の著者による「はしがき」(1956)の冒頭から:

古代の帰化人は、われわれの祖先だということ、日本の古代社会を形成したのは主に彼ら帰化人の力だったということ、この二つの事実が、とくに本書ではっきりさせたかったことである。


「にほん」の黒い流れは、「移動民が定住して成立した日本民族・日本語・日本」を見えなくしている

上記の「古代の帰化人は、われわれの祖先だということ、日本の古代社会を形成したのは主に彼ら帰化人の力だったということ」は、1956年に提起されているが、2011年の現在でもまだ新鮮さを保っている。

このことは、この提起が「何らかの黒い流れ」によって、見えにくくされていることを示している。

「にほん」の黒い流れ  1 日本人はるかな旅

国立博物館「日本人はるかな旅」展から



私たちはアフリカで生まれた
  • 日本人の祖先となる集団が、日本列島へ最初にやって来たのは、今から4~3万年前だった
  • 彼らは、およそ10万年前にアフリカで誕生した新人(ホモ・サピエンス)の直接の子孫であった
  • 人類がアフリカで誕生してから、新人に進化し、そして世界へ拡散していった、600万年に及ぶ長い歴史がある

マンモス・ハンター ─ シベリアからの旅立ち ─
  • 2万年以上前の旧石器時代、シベリアでマンモスを狩って暮らしていた人々がいた
  • 彼らが私たちの 祖先集団の一つであった

黒潮の民
  • およそ6万年前にアフリカを出発し東南アジアにやってきた新人(ホモ・サピエンス)たちは、インドネシアとその周辺を含む亜大陸を発見した
  •  
  • ある人々は、海を越え、オーストラリアとニューギニアを含む大陸へと旅立ち、また、何世代もかかって、中国や日本列島にやってきた人々もいた

成熟する縄文文化

  • およそ1万年前、温暖湿潤なモンスー ン気候が広く日本列島を覆った
  • 縄文時代人の 生活が始まった
  • 南九州では、大集落が発展したが(上野原遺跡)、約6500年前の鬼界カルデラの巨大噴火で、南の縄文文化は消滅してしまった
  • 青森県では、「海の交易センター」が成立し(三内丸山遺跡)、北海道礼文島には貝アクセサリーの工場が存在していた(船泊遺跡)
そして日本人が生まれた
  • 縄文人は、四角く立体的な顔で、小柄ながら筋肉質の身体つきをしていた
  • およそ2300年前に中国や朝鮮半島から渡来してきた弥生人は、長く平坦な顔で、大柄な身体つきをしていた
  • 渡来系弥生人は、九州北部から日本列島各地に広がり、縄文人と混血しつつ、本土人の主体を形成した
  • 彼らと共に渡来した文化は、在来の縄文文化と融合して、弥生文化を生み出した
  • 水田稲作技術は、食生活だけでなく、日本人の意識をも変えていくことになる
  • 海道と沖縄では、それぞれアイヌと琉球人が縄文人の姿形を色濃く残しながら、独自の文化を築いていく
  • いま、日本列島には、アイヌ・本土人・琉球人という三つの民族集団が住んでいる

「日本はなぜ負債大国になったか」

⇒ 「日本はなぜ負債大国になったか

大手メディアの黒い陰謀
「ニッポン」: 読売が仕掛け、NHKが引き継ぐ

「『日本』を『ニッポン』と呼ぶ『閣議決定』がある」と考えている人がいます。
2009年7月14日付読売新聞の記事です。

この日の閣議で日本の国名を「ニッポン」と呼ぶことに統一。‐1970年(昭和45年)‐

読売新聞は、このタイトルと1970年7月14日付け読売夕刊の記事コピーの写真を掲載し、以下の説明をのせています。

日本の国名を「ニッポン」と呼ぼう――。閣議でそう決めた日があることをご存じない方もいるのではないだろうか。

この閣議決定を報じた1970年7月15日付の読売新聞によると、それまでも「歴史的にも根拠があり、国際的にも通用している。語感が重量感にあふれていて国名にふさわしい」とする“ニッポン派”と「発音がすなおで簡明。暗い軍国主義のイメージを持つ“ニッポン”より抵抗を感じない」とする“ニホン派”の論争が続いていたが、同日の閣議で「一応の終止符が打たれたかっこう」となった。 (⇒ 全文) 

この記事は、「日本を『ニッポン』と呼ぶ『閣議決定』がある」と理解させます。

実は、記事は「意図的な誤報」といえます。 
2009年6月の衆議院での質問と答弁で確認されています。

  • 衆議院2009年6月19日提出の質問第570号:
    昭和四十五年(1970年)七月、佐藤栄作内閣は、「日本」の読み方について、政府は『にっぽん』を使う」との閣議決定は現在でも維持されているか?
  • 麻生太郎・内閣総理大臣の答弁:
    「『日本』の読み方については、御指摘のような閣議決定は行っていない」
すなわち、以下が明らかです。
  • 内閣総理大臣は、2009年6月19日に、「ニッポン」で統一する閣議決定はないことを確認
  • 読売新聞は、2009年7月14日付けで、自社記事を引用して、その閣議決定がなされた」と報道
なお、NHKは「おはようニッポン」など、「ニッポン」で統一、第三者(日本赤十字社)の公式登録の社名まで「ニッポン」を適用しています(2011年6月現在)。

読売、NHKともに「黒い意図により報道がなされている」と理解できる結果となっています。

なぜ「黒い」と言えるのか? 

「ニッポン」は、1931年対中15年侵略戦争開始後、日本軍国主義が愛用した読み方で、『文藝春秋』『オール讀物』を発行していた菊池寛や、その読者は1930年まで「にほん」を使用していたのです(菊池寛によって1930年10月1日、文藝春秋社から創刊された雑誌「モダン日本」で。 発刊の辞で「にほん」とルビ)。

この流れを米国が利用したのが、1952年4月28日のNHKの「君が代」の現在まで続く連日放送の開始や、総合テレビ・コールサインJOAKの「日の丸」、読売の「ニッポン」の「閣議決定」の意図的誤報、さらに「おはようニッポン」のNHKです。

また、「米軍駐留を憲法違反とした」砂川裁判で、最高裁長官と駐日・米大使と密会の結果、最高裁判決でこれをくつがえさせられた実績と伝統をもつ最高裁の一連の「君が代強制」判決に「黒い流れ」としてつながっているのです。

さらに、マイケル・グリーン(Michael Jonathan Green, 1961年- アメリカの政治学者、専門は日本政治、特に日本の安全保障政策。現在はジョージタウン大学外交政策学部准教授、戦略国際問題研究所(CSIS)上級顧問・日本部長)の日本語の常用は、「ニッポン」であることも、黒い流れの上流の見える部分として記録されるべきことです。(朝日ニュースター 2011年6月17日 別刊 朝日新聞「迫る2プラス2 日米懸案事項を説く」)

なお、上記の質問者(前衆議院議員・岩国哲人氏)は、「中国網日本語版(チャイナネット)」のインタビューで、「天皇のシンガポールでの公的発言で23回『にほん』といっている」と証言していますが、それが「ニッポン」の閣議決定ができない理由かも知れません。 歴史の皮肉というべきです。

読売の意図的・誤報的報道: 
この日の閣議で日本の国名を「ニッポン」と呼ぶことに統一。‐1970年(昭和45年)‐

http://otona.yomiuri.co.jp/history/20090714_01.htm

この日の閣議で日本の国名を「ニッポン」と呼ぶことに統一。‐1970年(昭和45年)‐

画像の拡大

 日本の国名を「ニッポン」と呼ぼう――。閣議でそう決めた日があることをご存じない方もいるのではないだろうか。

 この閣議決定を報じた1970年7月15日付の読売新聞によると、それまでも「歴史的にも根拠があり、国際的にも通用している。語感が重量感にあふれていて国名にふさわしい」とする“ニッポン派”と「発音がすなおで簡明。暗い軍国主義のイメージを持つ“ニッポン”より抵抗を感じない」とする“ニホン派”の論争が続いていたが、同日の閣議で「一応の終止符が打たれたかっこう」となった。

 この決定に先立つこと約7年、1963年(昭和38年)9月に日本オリンピック委員会(JOC)は、翌年のオリンピック冬季大会(インスブルック)派遣選手団の胸につける国名を「NIPPON」(ニッポン)とすることを決めている。

 その根拠は、(1)総理府の世論調査では「ニッポン」を支持するものが多かった(2)紙幣の国名は「NIPPON」と表示されている(3)英語の「JAPAN」やフランス語の「JAPON」はニッポンからの転化と考えられている――の3点だった(1963年9月12日付読売新聞)。
anohi090714_02.jpg

 オリンピック選手団の場合は、「NIPPON」は6字なので胸が開くユニホームでも左右3字ずつに分けやすい、という利点も考慮されたようだ。

 さて、わざわざ閣議で統一を決めた呼称の「ニッポン」だが、「日本」を冠した固有名詞のすべてが「ニッポン」と呼ばれているかといえば、そうでもないことはご承知の通り。ANA(全日空)の商号は「ぜんにっぽんくうゆ」であり、日本テレビ放送網の英文名称は「NIPPON TELEVISION NETWORK」となっているが、日本板硝子は「にほんいたがらす」だし、日本IBMは「ニホン、と読んでいる」(広報担当)。

 もともと、ニッポンvsニホンの国名論議は、1934年(昭和9年)に臨時国語調査会が「国号はニッポン、ただし、ある種の固有名詞はニホンでもよい」と決めたことが発端。1970年の閣議決定も「便宜上、どちらかに統一する必要がある」という程度の決め方だったという。

 閣議決定翌日の読売新聞には、「日本晴れも“ニホンバレ”と“ニッポンバレ”では感じが少し違う。漢字のそのへんのニュアンスを表すためにも、読み方は両方残したほうがいいという気がする」との岩淵悦太郎・国立国語研究所所長(当時)のコメントが掲載されている。結局のところ、現在に至るまでニッポンとニホンが混在していて、だからといって大きな混乱も起こっていない。

 実はこの問題、その後も何度となく蒸し返されている。折しも政府は今年6月30日の閣議で、このニッポンvsニホン問題に対して「いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」とする答弁書を決定したばかりだ。

 当欄ご愛読の皆さまは、古くて新しい「日本」の呼び方問題について、どうお考えだろうか? (新)


閣議決定を報じる1970年7月14日付読売新聞夕刊

日本国号に関する質問主意書および答弁

平成二十一年六月十九日提出
質問第五七〇号

日本国号に関する質問主意書

提出者  岩國哲人



日本国号に関する質問主意書


 昭和九年に文部省臨時国語調査会において、「日本」の読み方は「にっぽん」に統一され、例外的に東京の日本橋と「日本書紀」だけは「にほん」と読むことになった。その際、外交文書における国号の英文表記が「Japan」から「Nippon」に変更された。これについては、外交用語であるフランス語をはじめとするラテン諸語はHの音が発音されないことも考慮されたとする見解や、満洲事変の勃発とともに、「保守回帰」が起こり、穏やかな語感の「にほん」よりも音韻的に力強い「にっぽん」を選んだという経緯があったとする見解もある。
 この文部省臨時国語調査会の決定を受け、帝国議会でも審議された。
 戦争中の昭和十六年には、帝国議会で、当時の国号「大日本帝国」の発音を「だいにっぽんていこく」と定める検討がなされたが、保留のまま法律制定には至らなかった。
 戦後、昭和二十一年、帝国憲法改正特別委員会において、「日本国」と「日本国憲法」の正式な読み方について質疑がなされ、金森徳治郎憲法担当大臣(当時)は、「決まっていない」と答弁した。
 その後、昭和四十五年七月、佐藤栄作内閣は、「日本」の読み方について、「『にほん』でも間違いではないが、政府は『にっぽん』を使う」と、「にっぽん」で統一する旨の閣議決定を行ったが、法制化にまでは至らなかった。
 これに関連して、以下質問する。

一 右の閣議決定は現在でも維持されているか。
二 他国で、国号の現地発音が複数使用されている国の存在を認識しているか。
三 今後、「日本」の読み方を統一する意向はあるか。

 右質問する。

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答弁本文情報
経過へ | 質問本文(HTML)へ | 質問本文(PDF)へ | 答弁本文(PDF)へ
平成二十一年六月三十日受領
答弁第五七〇号

  内閣衆質一七一第五七〇号
  平成二十一年六月三十日
内閣総理大臣 麻生太郎

       衆議院議長 河野洋平 殿

衆議院議員岩國哲人君提出日本国号に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。




衆議院議員岩國哲人君提出日本国号に関する質問に対する答弁書



一について

 「日本」の読み方については、御指摘のような閣議決定は行っていない。

二について

 お尋ねについては、承知していない。

三について

 「にっぽん」又は「にほん」という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はないと考えている。

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http://digest2chnewsplus.blog59.fc2.com/blog-entry-7400.html
1:かなえφ ★ 2009/06/30(火) 20:51:01 ???0
 「にっぽん」「にほん」どちらでも――。
 政府は6月30日、「日本」の読み方についての答弁書を閣議決定した。
民主党の岩國哲人衆院議員の「日本国号に関する質問主意書」への答弁。

 「『日本』の読み方を統一する意向はあるか」との岩國氏の質問に対し、
答弁書では「『にっぽん』『にほん』という読み方については、いずれも広く
通用しており、どちらか一方に統一する必要はないと考えている」とした。

 岩國氏は質問主意書で「70年7月に佐藤内閣が『にっぽん』で統一する旨の
閣議決定を行った」と指摘したが、答弁書では「そのような閣議決定は行って
いない」と否定した。

asahi.com 2009年6月30日18時51分
http://www.asahi.com/politics/update/0630/TKY200906300254.html

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http://unkar.org/r/newsplus/1246362661
573 :名無しさん@十周年:2009/06/30(火) 23:10:26 ID:ioN8luVQO

※日本書紀の日本武尊

にほんしょきのやまとたけるのみこと

593 :名無しさん@十周年:2009/06/30(火) 23:16:56 ID:ii8TsgE60
>>573
日本書紀が書かれた時代と、ヤマトタケルノミコトが生きてた時代のズレですよ。
日本武尊の時代は、ヤマトの時代だったが、
日本書紀が書かれた時代にはすでに「日本」という国号があった。


575 :名無しさん@十周年:2009/06/30(火) 23:10:39 ID:ii8TsgE60
>>568
日ノ本だろ。
天武だか天智だからへんの時代に自称した。

漢字に当てたら「日本」→「ジーベン」→「ジパング」→「ジャパン・ヤーパン」って西へ西へと変化した

583 :名無しさん@十周年:2009/06/30(火) 23:13:05 ID:0KQPNUQt0
日本で作られた酢だから
ポン酢

豆知識な。

592 :名無しさん@十周年:2009/06/30(火) 23:15:58 ID:6FloLh7s0
>>583
そうなると日本人を引くからポン引き?


595 :名無しさん@十周年[sage]:2009/06/30(火) 23:17:52 ID:HMp1J2TC0
ニッポンとカンコクの共同開発した果実がポンカン

596 :名無しさん@十周年:2009/06/30(火) 23:18:13 ID:GHDGkC7kO
日本大学
にほんだいがく

日本体育体育
にっぽんたいいくだいがく
597 :名無しさん@十周年:2009/06/30(火) 23:18:23 ID:8eVH0XlD0
日本橋 (東京都中央区)(にほんばし)
日本橋 (大阪府)(にっぽんばし)
日本橋 (福島県)(ひもとばし)

福島の日本橋も忘れないでくださいw

619 :名無しさん@十周年:2009/06/30(火) 23:28:04 ID:ii8TsgE60
>>612
「朝鮮」の呼び名は中国流だからな。
日本流では、「韓」なんだが
欧米流では「高麗」だし


651 :名無しさん@十周年[sage]:2009/07/01(水) 00:05:05 ID:GogsZRHI0
>>647
8世紀のはじめ頃だと思う。
遣唐使が日本という国号を名乗ったので、唐の役人には倭国との関係が
わからず混乱したらしい。

661 :名無しさん@十周年[sage]:2009/07/01(水) 00:10:24 ID:wUQRrkO90
音読みだからわけがわからなくなるんだよ
訓読みで「ひもと」にすれば解決。
662 :名無しさん@十周年:2009/07/01(水) 00:11:58 ID:cps2Hm1U0
どっちもおかしい。ふつうによめば「にちほん」
663 :名無しさん@十周年:2009/07/01(水) 00:12:29 ID:pCenOKU0O
発音は長らく

にふぉん

じゃなかったか?
宣教師が作製したイソップ物語のローマ字表記翻訳本では NIFON が散見されるぞ。

665 :名無しさん@十周年:2009/07/01(水) 00:14:55 ID:Q+rg4/3k0
一本:いっぽん
二本:にほん
三本:さんぼん
四本:よんほん

だから、にほん と にっぽん を認めるのならば、

にぼん ってのも理論的には存在しなくてはいけない。

688 :名無しさん@十周年:2009/07/01(水) 00:30:02 ID:Q+rg4/3k0

世論 よろん せろん

も、どちらかに統一してくださいなw

689 :名無しさん@十周年[sage]:2009/07/01(水) 00:30:55 ID:AjcoVOOe0
>>688
それ言うなら、
重複 じゅうふく ちょうふく

も統一して欲しいがね

711 :名無しさん@十周年:2009/07/01(水) 00:41:32 ID:FPgYq40yO
>>684
銀座に日本橋は存在しない。
銀座の隣が京橋で、そのまた隣が日本橋。
固有名詞だから読み方は一通りしか無いよ。
ちなみに、大阪の日本橋は「にっぽんばし」と読むらしい。

716 :名無しさん@十周年[sage]:2009/07/01(水) 00:43:06 ID:cECOOIheO
こういう、いつまでたっても決着がつかないのって
いかにも日本らしくて結構好きだ

717 :名無しさん@十周年:2009/07/01(水) 00:44:17 ID:0TqR/Kgp0
>>1
>『日本』の読み方を統一する意向はあるか

いっぽん
にほん
さんぼん

馬鹿な事に時間を割いてんじゃないよ。

765 :名無しさん@十周年:2009/07/01(水) 01:10:05 ID:uCewEnxe0
鳥取でも取鳥でもいいじゃないかと思う事はある

806 :名無しさん@十周年[sage]:2009/07/01(水) 01:37:28 ID:mkNOtiV+0
NHKは”にっぽんほうそうきょうかい”なのに、NHKからの振込みは“ニホンホウソウキョウカイ”だった。
最初いたずらかとおもたよ。

807 :名無しさん@十周年[sage]:2009/07/01(水) 01:39:08 ID:gOVwf9z90
>>806
「エヌ・エイチ・ケー」自体、もはや「エネーチケー」だからなあ。