1. 研究テーマ: 日本の国号の起源・変遷などについて
2.理由:
2.1 「特にこのデータベースの利用を必要とする第一の理由」
(以下を確認するため)
- 「古事記」には「日本」が現れない。「倭(やまと)」の使用例は人名を含めて64例、歌の中の「やまと」は10例である(神野志隆光『日本』とは何か」国号の意味と歴史)。
- 古事記の「倭」は、万葉集において「山跡」(17回)、「倭」13回、「日本」10回、その他2回の使用となっている。(塙書房刊「万葉集総索引・CD-ROM」)。
- 「日本書紀」においては、初出(巻第一・神代上・第四段本文において以下の記述がある。
- 廼生大日本【日本 此云耶麻騰 下皆傚此】豐秋津洲 次生 (読み下し):廼(すなわ)ち大日本豐秋津洲(おおやまととよあきつしま)を生む。【『日本』、此を耶(や)麻(ま)騰(と)と云う。下、皆此(これ)に傚(なら)え】 その上で、全体で人名を含め219回(上記「『日本』とは何か)の使用例がある。
これは、以下を示している。
- 古事記(やまと王権からやまと天皇制の確立まで)では、「倭」を使用している。
- 万葉集では、「倭」より「山跡」の使用例が多くなった
- 日本書紀では、「日本(やまと)」に統一された
なお、万葉集では319番歌に、「・・・日本之(ひのもとの) 山跡国乃(やまとのくにの)・・・」と、「日本」を「やまと」の枕詞として使用している。 この使用例は、万葉集中1箇所のみ。
すなわち、倭⇒山跡⇒日本の変化の中で、「日本(ひのもと)之」は枕詞として現れた。 このことは、古事記・万葉集以外でも「日本(ひのもと)之」の枕詞に近い使用例がある可能性がある。
2.2 「特にこのデータベースの利用を必要とする第二の理由」
(以下を検討するため)
また、大宝律令制定の過程で、枕詞「日本(ひのもと)之」の「日本(ひのもと)」を「山跡(やまと)」に代えて使用することが決定されたと推測できるが、その発想は「日本に長期定住した先住民の発想」ではなく(古事記には「日本」は現れていない)、大宝律令の制度を提案・推進した「比較的近い渡来人の発想」である可能性がある。
2.3 「特にこのデータベースの利用を必要とする第三の理由」
(以下を検討するため)
- 「日本書紀」において、「倭」の対中国・表記を「日本(やまと)」と統一されたが、逆にその後、国内では「やまと」は「大和」と表記されるようになった。
- おそらく「大倭」を「大和」としたことが想定されるが、その経緯を詳しく知りたい。
- また、「漢詩」に対して「倭歌(やまとうた)」の名称が与えられ、それが「和歌」となったと考えられるが、その経緯についても、確認したい。
近代において「日本」が「ニッポン」となったのは、1931年の対中15年侵略戦争以降の日本軍国主義によってである経緯があります。 前年までは「にほん」がより普通でした。 (1930年10月発刊の菊池寛の雑誌「モダン日本」では、発刊の辞に「にほん」とルビがついている)
読売新聞(①2009年7月14日付け)で、1970年7月14日に「この日の閣議で日本の国名を「ニッポン」と呼ぶことに統一」という同紙(②1970年7月14日付け夕刊)の記事コピーを掲載して、その「閣議」を再確認しています。
①と関連した内容の「日本国号に関する質問主意書」(2009年6月19日付け)が政府宛てに提出されたが、それに対して、麻生太郎・内閣総理大臣は 「『日本』の読み方については、御指摘のような閣議決定は行っていない」(内閣衆質一七一第五七〇号 2009年6月30日付け)と答弁しています。
すなわち、読売の記事は内閣総理大臣の答弁を否定して形となっています。
同時に、NHKは「おはようニッポン」のように、「日本」読み方を、「ニッポン」と統一しています。 このNHK内部ルールは、正規に登録された第三者の社名(日本赤十字社)まで、「にほん」を「ニッポン」と、するなど、異常な現象を呈しています。
日本書紀において、対中表記として「やまと」を「日本」と統一し、「古事記」を編纂しなおしたように、21世紀において、「にほん・ニッポン」の2つの読み方のある日本語を、「ニッポン」に統一しようという、読売新聞やNHKの動きがあります。
これは、文化問題としては興味深いといえますが、政治問題としては問題であるといえます。
このようなことも含めて、「特にこのデータベースの利用を必要」としています。
よろしく、お取り扱いのほど、お願い申し上げます。