ヒトやイネのDNAの研究や考古学・古文献などの研究などにもとづいて、以下の仮説が提起されている:
- 日本の民族は、ユーラシア大陸や南からの、大きくは「西からの」諸移動民が定住して成立してきた
- 言葉や生活様式も移動民の定住化の中で固定化し、諸民族と不断の交流の中で影響を受けながら、独自の発展をとげた
- 西暦1世紀前後、日本列島定住民の諸豪族に率いられる集団の中で、比較的大きな集団は、自分たちのことを「わ」と呼んでいた(あるいは中国の記録者たちはそう理解し、「倭」の文字をあてた)
- やがて九州から近畿までに勢力をのばした、自らを「やまと」と呼ぶ「やまと王権」が誕生した
- 「倭(やまと)王権」は、権力正当化のための歴史書として言い伝えなどを再編成し「古事記」を編纂させた。
- 古事記では、漢文・漢字が使用された。一部「やまと」を「倭」と記したが、やがて「山跡」と記すようになるなど、固有名詞に音訳をあてる「古代特殊仮名使い」の工夫をおこなった
- この過程で「天皇」の呼称をも工夫し、天皇の起源を神話としての神に求めた
以上を前提とすれば、以下の記述の正当性が理解できる。
関晃著「帰化人 古代の政治・経済文化を語る」(講談社学術文庫 2009年第1刷発行)の著者による「はしがき」(1956)の冒頭から:
「にほん」の黒い流れは、「移動民が定住して成立した日本民族・日本語・日本」を見えなくしている
上記の「古代の帰化人は、われわれの祖先だということ、日本の古代社会を形成したのは主に彼ら帰化人の力だったということ」は、1956年に提起されているが、2011年の現在でもまだ新鮮さを保っている。
このことは、この提起が「何らかの黒い流れ」によって、見えにくくされていることを示している。