(参考添付資料) 国立博物館 「日本人はるかな旅」展から
第1章 私たちはアフリカでう生まれた
私たち日本人の祖先となる集団が、日本列島へ最初にやって来たのは、今から4~3万年前だったと考えられます。彼らは、お よそ10万年前にアフリカで誕生した新人(ホモ・サピエンス)の直接の子孫でした。日人類の歴史を見る前に、人類がアフリカで誕生してか ら、新人に進化し、そして世界へ拡散していった、600万年に及ぶ長い歴史を振り返ってみましょう。
第2章 マンモスハンター ─ シベリアからの旅立ち ─
シベリアは、かつて「白い静寂の大陸」あるいは「マンモスの大陸」とも呼ばれた地域です。アフリカで誕生した人類が、な ぜ、この酷寒のシベリアをめざしたのでしょうか。人類史の七不思議のひとつであり、今なお確かな理由はわかりません。しかし、2万年以上前の旧石器時代、 技術開発と創意工夫によって寒さに挑戦し、ついには寒さを味方にして、シベリアでマンモスを狩って暮らしていた人々がいたのです。そして、彼らが私たちの 祖先集団の一つであったことが近年の研究で明らかにされています。
第3章 黒潮の民 ─ スンダランドからの旅立ち ─
およそ6万年前にアフリカを出発し東南アジアにやってきた新人(ホモ・サピエンス)たちは、海水面の低下によって生じた広 大なスンダランド(インドネシアとその周辺を含む亜大陸)を発見しました。彼らは、気候がよく豊かな食物資源に恵まれていたスンダランドで人口をふやし、 次への発展に備えていました。
ある人々は、海を越え、東隣のサフールランド (オーストラリアとニューギニアを含む大陸)へと旅立っていきました。また、陸を踏破し海を越え、何世代もかかって、中国や日本列島にやってきた人々もいたことでしょう。
第4章 成熟する縄文文化
およそ1万年前の完新世になると、黒潮の分流が対馬海流となって日本海側にも進入し、現在と同じように温暖湿潤なモンスー ン気候が広く日本列島を覆いました。各地に実り多い恵みをもたらす森林が発達した結果、陸海のさまざまな食料資源を活用し、豊かな文化を育む縄文時代人の 生活が始まったのです。
南九州では、豊かな照葉樹林のなかで大集落が発展しましたが(上野原遺跡)、約6500年前の鬼界カルデラの巨大噴火で、南の縄文文化は消滅してしまいま した。青森県では、対馬海流を利用した「海の交易センター」が成立し(三内丸山遺跡)、北海道礼文島には貝アクセサリーの工場が存在していました(船泊遺 跡)。
第5章 そして日本人が生まれた
縄 文人は、四角く立体的な顔で、小柄ながら筋肉質の身体つきをしていました。およそ2300年前に中国や朝鮮半島から渡来してきた弥生人は、長く平坦な顔 で、大柄な身体つきをしていました。彼ら渡来系弥生人は、九州北部から日本列島各地に広がり、縄文人と混血しつつ、本土人の主体を形成しました。彼らと共 に渡来した文化は、在来の縄文文化と融合して、弥生文化を生み出しました。水田稲作技術は、食生活だけでなく、日本人の意識をも変えていくことになりま す。
渡来系弥生人の影響が少なかった北海道と沖縄では、それぞれアイヌと琉球人が縄文人の姿形を色濃く残しながら、独自の文化を築いていきます。その結果、いま、日本列島には、アイヌ・本土人・琉球人という三つの民族集団が住んでいるのです。
(以上 http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/1/index.html から)
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