2011年6月18日土曜日

読売の意図的・誤報的報道: 
この日の閣議で日本の国名を「ニッポン」と呼ぶことに統一。‐1970年(昭和45年)‐

http://otona.yomiuri.co.jp/history/20090714_01.htm

この日の閣議で日本の国名を「ニッポン」と呼ぶことに統一。‐1970年(昭和45年)‐

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 日本の国名を「ニッポン」と呼ぼう――。閣議でそう決めた日があることをご存じない方もいるのではないだろうか。

 この閣議決定を報じた1970年7月15日付の読売新聞によると、それまでも「歴史的にも根拠があり、国際的にも通用している。語感が重量感にあふれていて国名にふさわしい」とする“ニッポン派”と「発音がすなおで簡明。暗い軍国主義のイメージを持つ“ニッポン”より抵抗を感じない」とする“ニホン派”の論争が続いていたが、同日の閣議で「一応の終止符が打たれたかっこう」となった。

 この決定に先立つこと約7年、1963年(昭和38年)9月に日本オリンピック委員会(JOC)は、翌年のオリンピック冬季大会(インスブルック)派遣選手団の胸につける国名を「NIPPON」(ニッポン)とすることを決めている。

 その根拠は、(1)総理府の世論調査では「ニッポン」を支持するものが多かった(2)紙幣の国名は「NIPPON」と表示されている(3)英語の「JAPAN」やフランス語の「JAPON」はニッポンからの転化と考えられている――の3点だった(1963年9月12日付読売新聞)。
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 オリンピック選手団の場合は、「NIPPON」は6字なので胸が開くユニホームでも左右3字ずつに分けやすい、という利点も考慮されたようだ。

 さて、わざわざ閣議で統一を決めた呼称の「ニッポン」だが、「日本」を冠した固有名詞のすべてが「ニッポン」と呼ばれているかといえば、そうでもないことはご承知の通り。ANA(全日空)の商号は「ぜんにっぽんくうゆ」であり、日本テレビ放送網の英文名称は「NIPPON TELEVISION NETWORK」となっているが、日本板硝子は「にほんいたがらす」だし、日本IBMは「ニホン、と読んでいる」(広報担当)。

 もともと、ニッポンvsニホンの国名論議は、1934年(昭和9年)に臨時国語調査会が「国号はニッポン、ただし、ある種の固有名詞はニホンでもよい」と決めたことが発端。1970年の閣議決定も「便宜上、どちらかに統一する必要がある」という程度の決め方だったという。

 閣議決定翌日の読売新聞には、「日本晴れも“ニホンバレ”と“ニッポンバレ”では感じが少し違う。漢字のそのへんのニュアンスを表すためにも、読み方は両方残したほうがいいという気がする」との岩淵悦太郎・国立国語研究所所長(当時)のコメントが掲載されている。結局のところ、現在に至るまでニッポンとニホンが混在していて、だからといって大きな混乱も起こっていない。

 実はこの問題、その後も何度となく蒸し返されている。折しも政府は今年6月30日の閣議で、このニッポンvsニホン問題に対して「いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」とする答弁書を決定したばかりだ。

 当欄ご愛読の皆さまは、古くて新しい「日本」の呼び方問題について、どうお考えだろうか? (新)


閣議決定を報じる1970年7月14日付読売新聞夕刊