2011年6月13日月曜日

古事記「偽書説」について

岩波文庫「古事記」(倉野憲司校注 1962)の巻末「解説」に以下の記述がある。

古事記(序文、または序文も本文も)の和銅成立に疑いを抱き、これを後の偽作であるとする説をなすものがある。 それを列挙すると次の通りである。

  賀茂真淵(宣長宛書簡)
  沼田順義(「級長戸風」の端書)
  中沢見明(「古事記論」)
  筏勲(「上代日本文学論集」、「国語と国文学」第三十九巻第六・七号)
  松本雅明(「史学雑誌」第六十四編第八・九号)

これらの説は、、その論旨や論拠は必ずしも一様ではないが、一応もっともな疑問と思われる点を含んでいる反面、明らかに誤りと認められる点や論拠の薄弱な点も多く、今日これらの儀諸説を是認する人はほとんどないと言ってよい。

特に上代特殊仮名遣からすれば、古事記がなら時代の初期に成立したことは疑い無いとこれである。

ただし、儀諸説が提示した正当と思われる疑義については、これを十分に取り上げて解明する努力が必要であろう。

橋本進吉(1882-1945)の「古代国語の音韻に就いて」(岩波文庫、岩波書店 初版発行日 1980)[青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000061/card510.html 底本: 「古代国語の音韻に就いて 他二篇」 出版社: 岩波文庫、岩波書店 初版発行日:1980 入力に使用: 1985 第8刷]には、以下の記述がある。

『古事記』について、数年前偽書説が出て、これは平安朝初期に偽造したもので、決して元明(げんめい)天皇の時に作られたものでないという説が出ましたが『古事記』の仮名を見ますと、前に述べたように、奈良朝時代にあった十三の仮名における両類の仮名を正しく遣い分けてあるばかりでなく、『古事記』に限って、「モ」の仮名までも遣い分けてあります。

そういう仮名の遣い分けは、後になればなるほど乱れて、奈良朝の末になると、その或るものはもう乱れていると考えられる位であり、平安朝になるとよほど混同しています。もし『古事記』が、平安朝になってから偽造されたものとすれば、これほど厳重に仮名を遣い分けることが出来るかどうか非常に疑わしいと言わなければなりません。そういう点からも偽書説は覆(くつがえ)すことが出来ると思います。

また近年出て来た『歌経標式(かきょうひょうしき)』でありますが、奈良朝の末の光仁(こうにん)天皇の宝亀年間に藤原浜成(ふじわらのはまなり)が作ったという序があって、歌の種類とか歌の病(やまい)というようなことを書いたもので、そんな時代にこんな書物が果して出来たかどうか疑問になるのであります。しかし、その中に歌が万葉仮名で書いてあります。その仮名の遣い方を見ますと、オ段の仮名の或ものは乱れているようでありますけれども、大抵は正しく使いわけてあって、ちょうど、奈良朝の末のものとして差支ないと認められます。そういう点から、この書は偽書でなかろうということが出来るのであります。

附録 万葉仮名類別表

[#底本では、同じ仮名の各類を、行頭に置いた仮名の後で「{」を用いて括っている。また、同類の清音と濁音の行の下に、まとめて「甲類」「乙類」等の類別を記している。]
エ 愛哀埃衣依・榎可―愛[#「可―愛」で一つのよみ]荏得 ア行
エ 延曳睿叡遙要縁裔・兄柄枝吉江 ヤ行
キ〔清音〕 支岐伎妓吉棄弃枳企耆祇祁・寸杵服来 甲類
キ〔濁音〕 藝岐伎儀蟻祇※ 甲類
キ〔清音〕 帰己紀記忌幾機基奇綺騎寄気既貴癸・木城樹 乙類
キ〔濁音〕 疑擬義宜 乙類
ケ〔清音〕 祁計稽家奚鷄※谿渓啓価賈結・異 甲類
ケ〔濁音〕 牙雅下夏霓 甲類
ケ〔清音〕 気開既※概慨該階戒凱※居挙希・毛食飼消笥 乙類
ケ〔濁音〕 宜義皚※碍礙偈・削 乙類
コ〔清音〕 古故胡姑※枯固高庫顧孤・子児小粉籠 甲類
コ〔濁音〕 胡呉誤虞五吾悟後 甲類
コ〔清音〕 許己巨渠去居挙虚拠※興・木 乙類
コ〔濁音〕 碁其期語馭御 乙類
ソ〔清音〕 蘇蘓宗素泝祖巷嗽・十麻磯追―馬[#「追―馬」で一つのよみ] 甲類
ソ〔濁音〕 俗 甲類
ソ〔清音〕 曾層贈増僧憎則賊所諸・其衣襲※彼苑 乙類
ソ〔濁音〕 叙存※鋤序茹 乙類
ト〔清音〕 刀斗土杜度渡妬覩徒塗都図屠・外砥礪戸聡利速門 甲類
ト〔濁音〕 度渡奴怒 甲類
ト〔清音〕 止等登※騰縢臺苔澄得・迹跡鳥十与常飛 乙類
ト〔濁音〕 杼縢藤騰廼耐特 乙類
ノ 怒弩努 甲類
ノ 能乃廼・笶箆 乙類
ヒ〔清音〕 比毘卑辟避譬臂必賓嬪・日氷檜負飯 甲類
ヒ〔濁音〕 毘※妣弭寐鼻彌弥婢 甲類
ヒ〔清音〕 非斐悲肥彼被飛秘・火乾簸樋 乙類
ヒ〔濁音〕 備眉媚縻傍 乙類
ヘ〔清音〕 幣弊※蔽敝平※覇陛反返遍・部方隔重辺畔家 甲類
ヘ〔濁音〕 辨※謎便別 甲類
ヘ〔清音〕 閇閉倍陪杯珮俳沛・綜瓮缶甕※※経戸 乙類
ヘ〔濁音〕 倍毎 乙類
ミ 美彌弥瀰弭寐※民・三参御見視眷水 甲類
ミ 微未味尾・箕実身 乙類
メ 売※謎綿面馬・女 甲類
メ 米毎梅※妹昧※・目眼海―藻[#「海―藻」で一つのよみ] 乙類
モ 毛 甲類
モ 母 乙類
ヨ 用庸遙容欲・夜 甲類
ヨ 余与予餘誉預已・四世代吉 乙類
ロ 漏路露婁楼魯盧 甲類
ロ 呂侶閭廬慮稜勒里 乙類

○以上は普通の仮名の別に相当しない十三の仮名、および『古事記』における「モ」の仮名に当る万葉仮名の類別のみを挙げたのである。

○同じ字が清音と濁音とに重出しているのは、或る書ではこれを清音に用い他の書ではこれを濁音に用いたものである。


宇治谷孟・「日本書紀(上)」(講談社学術文庫(1988)の著者による「まえがき」には、以下の記述がある。

万葉仮名の漢字使用に、甲類・乙類という二種の区別があり、その理由が解明困難であったところ、当時記録にかかわった人たちの、出身地の方言の相違 ── 百済系・新羅系の二系統があることに因(よ)るものかという、指摘がされている。


この指摘の引用は、重要な引用である。
しかし、その出典に関しては明記されていない。 

わずかに、その指摘の前に「近頃は韓国生まれの人の、日本古代史研究者も少なくない。古代朝鮮語で読むと、従来、日本人の思いもかけなかった、奇抜な理解の仕方があることを知らされた」と「学術的な」記述があるだけである。

「日本書紀」および、古代日本史、日本人・日本語の起源と歴史などについては、現時点では(少なくとも1988年までは)学術レベルも十分ではなかったようだ。

上記引用の正確な出典に関しては、今後の研究をまたなければならない。 (参考: ⇒ 「橋本進吉「古代国語の音韻について」

ホームページ「古代史獺祭 : こだいし だっさい」(http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/index.htm 古事記」原文と読み下し文の検索可能なデータベースが提供されている。作成経緯・作成者に関する記述なし)の冒頭に以下の記述がある。
「古事記」 は八世紀初頭、その序文によれば 和銅五年(西暦712年) に成立したわが国最古の典籍とされています。 旧来 「偽書」 であるとの説もありましたが、昭和五十四年 に奈良県で選者とされる 太安万侶 の墓誌が発見され、いまやこれを 「偽書」 とする説はあまり見かけることはなくなりました。